Share Your Value Projectへの道

このプロジェクトを始めるに至った長い物語です。2015年7月22日から8月8日までFacebookに投稿した文章を改編し少しずつ更新します。

最後までお読みいただけたら幸いです。

 

NO.1【「ありがとう」から始まった物語】

今から25年前,24歳の時,サンド薬品(現ノバルティスファーマ)に入社し,免疫抑制剤シクロスポリンの市販後臨床試験 を担当していました。ある初夏の日,神戸で,オーストラリア・ブリスベンで肝移植を受けた1歳の男の子とそのご両親にお会いする機会がありました。まだ生体肝移植が日本で始まったばかりの頃,若いご夫婦がどんな思いで渡航移植に踏み切ったのか,そのご苦労を交えたお話を伺っていた時のことです。お父様が,「ありがとう,ありがとう。この子の命が救われ元気になったのも,あなたの薬のおかげです。この子の命が救われ元気になったのも,あなたの薬のおかげです。この子が長生きしていつまで も私たちに笑いかけてくれるよう,頑張ってください。 そして,海外にいかなくても移植を受けられる社会をつくってください。本当にありがとう」と,涙を流しながら私の手を強く握ってくださいました。

今でも鮮明に覚えているこの瞬間,その後の人生が決まったといっても過言ではありません。医療従事者のように直接患者さんに接することはできませんが,患者さんがより長く質の高い生活が送れるような医薬品の研究をすること,必要な人が必要な時に移植を受けることによって救われる社会をつくることで,社会に貢献しようと心に誓いました。

ギュッと握りしめられた手にこめられたお父様の思いを叶えたい・・・私の原点です。

(2006年9月20日産経新聞朝刊,論説委員の木村良一さんによるインタビュー記事です)

 

NO.2【プロフェッショナリズムの衝撃】

それから10年後,海外勤務を命じられました。そして,臓器移植のパイオニア企業の社会貢献活動として,欧州諸国の臓器提供増加への取り組みを調査し,そのベストプラクティスを日本に導入するプロジェクトを任されました。

ベルギー,イギリス,フィンランド,フランス,ドイツ,ポルトガル,スペイン,スイスの保健省,臓器提供斡旋機関の責任者を訪問し,「臓器提供の増加に重要な要素は何ですか?」とインタビューを行いました。すべての人が開口一番答えた言葉が「プロフェッショナリズム」でした。

法律や国民の死生観・価値観が臓器提供数に大きく関与していると思っていた私には衝撃的な回答でした。「医療現場で働く人々のプロフェッショナリズムこそが最も重要」この言葉が私の胸にずっと残り,「なぜプロフェッショナリズムなのだろうか・・・」私の問題意識はどんどん大きくなりました。

NO.3【タクシー乗り場で出会ったTPM】

2001年10月,リスボンで開かれた欧州移植学会の学会場の前で,タクシーを待っていた時のことでした。夕方のラッシュアワーで,待てどもタクシーは来ません。ふと隣を見ると,先ほど学会発表していたスペインのTPM(Transplant Procurement Management)の人たち。急にドキドキしました。

実は,その日,初めて演題発表でTPMのことを知り,その体系的でよくデザインされた教育に強い興味を抱いたのでした。「どうしよう,いきなり声をかけたら変な日本人って思われるかな・・・」躊躇しつつも意を決して話しかけました。

「こんにちは。私は,臓器提供増加に寄与するプログラムを日本に導入するため,欧州の様々な取り組みを調査しています。TPMに大変興味があるので,今度お話しを伺いたいのですが。」

すると,満面の笑みで「11月にTPMアドバンスコースを開催するから,それに参加するのが一番いいわよ」とパンフレットを手渡してくれました。一気に緊張が解け,堅い握手をしました。

その時に出会ったのが,Ms.Gloria PaezとDr.David Paradesでした。Gloriaは,D.Marti Manylich,Dr.Ricard Valeloと常にチームを組みながら教育プログラムを確立し,世界で最も優れたプログラムとして表彰されるまでに育て上げました。いつも明るく,他者を尊重し,認め合い,情熱にあふれている・・・そんな彼らから学んだことは,最も重要なのは「ひと」が互いを認め合うこと。スペインの成功の鍵は人材であることを確信しました。これが,その後,大学院で人的資源分野に進む布石となっていたのでした。

NO.4【経営学を学ばなくては】

今週も,米国で心臓移植手術を受けるため渡航されたお子さんのニュースが流れてきました。約3億円の寄付を募り,渡航しなくてはいけない親御さんのお気持ちを考えると胸が締め付けられます。なぜ,日本でふつうに移植を受けられないのだろう・・・と思われることもあったのではないかと思います。

私も20年ほど前から何度も海外渡航の募金活動のお手伝いをしました。その度に思いました。「日本で,必要な人が必要なときに臓器移植を受けることができる日はこないのだろうか・・・」と。

ヨーロッパでの調査を進めるうち,日本に圧倒的に不足しているのは「しくみ」の整備であることを痛感しました。そして,その「しくみ」を研究し,政策提言したいと思うようになりました。

 

ある日,スペインの専門家が熱く語りました。

“Improvement of organ donation = Innovation of organization” スペインは世界で最も臓器提供が多いのですが,なんとなく臓器提供が多いのではありません。今から20年前,臓器提供が増加しない理由について,国が主体となって真剣に考えました。正確に現状を分析し,問題の本質を追究し,その解決に必要不可欠な事項について戦略的に取り組んだ結果です。国を一つの組織に見立て,国,地域,各病院レベルの役割を明確にして,組織の変革に取り組みました。問題の本質に迫り,経営学の方法論で解決したのです。

私は気づきました。「日本の臓器提供不足を解決するためには経営学を学ばなくては」と。私の中でどんどん大きな問題意識となった「プロフェッショナリズム」も経営学の範疇であることを知り,私は経営学の門を叩きました。40歳「不惑」の春でした。

NO.5【あたりまえが通じない経験】

大学院のゼミで気づいたことは,今までとても閉じた世界で考えていたこと。ゼミの研究発表で「ドネーション」「オプション提示」と言っても通じません。「ドネーションって寄付でしょ?」・・・移植の世界では「臓器提供」を意味しますが,一般的にはそのとおりです。『門外漢の人が理解できるような分かりやすい説明,分析枠組みと,論理的な説明を!』指導教官の上林憲雄先生から学んだとても大切なことです。

移植医療の理解と普及を進めるためには,もっと一般の視点に立たなければいけません。移植医療の分野で何気なく使っている言葉が全然通じない・・・そんな経験が,「一般の人々の視点に立つ」とはどういうことか,人々にどのように伝えればよいのかを真剣に考える機会となり,現在の重要な礎ができました。

NO.6【本質の探究への長い旅】

​ 修士課程2年生の6月,修士論文では自分の問題意識と思いを果たしきれないので,博士後期課程で研究を続けたいとの気持ちが強くなりました。そのことを指導教官の上林先生に申し上げたところ,「是非続けなさい」と後押しをしてくださいました。移植医療について経営学で研究していることに違和感を唱える先生方もいらっしゃる中,「だからこそ斬新でおもしろい!」と上林先生はいつもおっしゃいました。そのお言葉にどれだけ救われたか,御恩は言いつくせないほどです。

博士後期課程の1年目,働きながらひたすら文献と向き合う日々でした。寝る時間が3-4時間しかとれずフラフラなのに,一向に道が開けません。ゼミの度に,「まだ専門すぎてわからない。もっと簡潔に,誰でもわかるように」とばっさり斬られます。なかなか既存の枠から抜け出せないのです。この壁を突破しない限り,臓器提供が少ない原因の本質に到達できません。

ようやく辿り着いた「臓器提供に影響を及ぼす因子を考える枠組み」に基づき,300報以上の文献をレビューし,成功しているスペイン,フランス,ベルギー,シンガポールに何度もインタビュー調査に出かけ,23か国へのアンケート調査を行いました。要因は決して一つではありませんが,病院(組織)内プロセスを改善することが重要であり,それを円滑に進める人材のマネジメントを研究すべきことが導かれました。

欧州の人々が「プロフェッショナリズム」と答えた意味が理解でき,プロフェッショナリズムとその醸成についての研究に没頭しました。

NO.7【自分らしい社会貢献】

博士後期課程2年目の秋,人生の岐路を迎えました。フルタイムで働きながら時間を確保して質の高い研究をするのはとても難しく,体力も限界でした。今後のキャリアを考えるにあたりEdgar Scheinの3つの問いを反芻しました。「自分はなにが得意か?」「自分はいったいなにをやりたいのか? 」「どのようなことをやっている自分なら,意味を感じ,社会に役立っていると実感できるのか? 」・・・特に3番目の問いと向き合い,深く何度も考えました。

それまで20年もの間,移植医療に関わる多くの人が,臓器提供の増加へ多大な努力を払っているのを見続けてきました。何とかその一助にと抱き続けた熱い思いが,私を研究の道へと駆り立てました。製薬会社でも重要な職責をいただいていましたが,それは他の人でも職責を果たすことが可能です。でも,移植医療を経営学の視座で研究する人は私の他いませんでした。移植を待っている患者さんや,その思いを叶えたいと尽力されている医療従事者,コーディネーター,そして日本社会に少しでも貢献できるのはやはり研究者として生きることだと決意しました。

 

心は決まったものの,約20年間勤務した製薬業界から去ることは容易ではありません。そんな私の背中を押してくれたのは,友人の生き方でした。彼女はキャリアを積み重要な役職を約束されていましたが,乳癌に罹患し,職を失うことになりました。そして,自分のような経験を他の人にはしてほしくないと,がん経験者の就労を支援する事業をスタートしました。自分のためではなく,「他者のために,そして次世代の人々のために」。彼女のように,自分が経験した痛みを他の人には味わってほしくない,繰り返してはいけない,より良い世の中に変えたいと活動する友人たちに恵まれました。

ちょうど仕事人生の中間地点。「後半は,自分だからこそできる社会貢献に没頭し,より良い社会を創りたい。」大きな一歩を踏み出しました。

NO.8【苦しい就活と使命感に支えられた日々】

45歳,博士号の取得を契機に就活を始めました。研究者として社会に貢献するためには,大学に就職する必要があったからです。しかし,多様なキャリアパスの整備が不十分な日本社会は,40代後半のキャリアチェンジには冷たく,どんなに業績を重ねても就職できません。面接に進むことなく「残念ながらご志望に添うことができませんでした。貴殿の一層のご活躍をお祈りしております」という文書を40回受け取りました。覚悟を決めてチャレンジしてもこの社会では無理なのか・・・辛く,途方にくれる日々でした。

そんな日々を支えてくれたのは,「多くの人が救われる社会になるように頑張ってください」と25年前に託された思いを叶えなければという使命感でした。今までの研究成果を還元し,少しでも移植を待つ患者さんの役に立ちたい・・・信念を持って,魂を込めて書籍の執筆に向かい合いました。

研究を総括し,日本の臓器提供増加に向けての提言も盛り込みました。それが認知され,実行されることを願い,関係者の多くに拙著を謹呈しました。

執筆過程で不思議な感覚におそわれました。人生は不思議な力でつながっているのだと。25年前の出来事の舞台は神戸でした。広島で生まれ育ち東京で働いていた私がいつの間にか神戸を拠点とするようになり,様々な所で出会った人々との出会いが, 一つにつながりました。散在していた点と点がつながって線となったのです。ずっと思い続けていたことを諦めず続けていれるのは,心に響く生き方をしている人々との出会いがあったから。それまで支えてくださった全ての方々への感謝の気持ちでいっぱいになりながら,執筆の日々を過ごしました。

NO.9【社会とつながる研究者】

お祈り文書と格闘中,一つの機会をいただきました。京都大学の「政策のための科学」という学際融合大学院の立ち上げと教育・研究に携わることになりました。

ここでは2種類の「つなぐ人材」の育成を目指しています。一つ目は「異分野・異領域の間に立って橋渡しをする媒介者としてのつなぐ人材」。

環境,生命など多くの専門分野にまたがる深刻な社会課題を解決するためには,古典的な知だけでは不十分です。ある特定の分野での高い専門性をもちつつ,全体を俯瞰してその専門性を別の分野で生かせる力を養うことが重要です。震災,宇宙,生命倫理,再生医療,食の安全,データ可視化など多彩な専門分野の教授の講義を伺いながら,「もっと様々な社会の問題に目を向けて学ばなくては」と思いました。この経験が,瓜生原ゼミ「超えるシリーズ」に活かされています。

もう一つは「個別分野の研究を行いつつ,その分野と他分野・他業種・市民等をつなぐ人材」。科学技術の倫理的・法的・社会的問題(ELSI)に関する研究を行うとともに,それらを市民にわかりやすく伝えたり,市民との対話を行う人材です。

臓器移植には,まさしくこういった人材が必要です。一方的な知識の提供だけでは理解は進みません。市民は何を不安に思っているのか,何を知りたいと思っているのかを良く聞き,エビデンスがある事柄についてはそれをわかりやすく伝え,調べる必要がある事柄については研究する・・・ 「社会とつながる研究者」になりたい!と強く思いました。

NO.10【不安,喪失,研究に支えられた日々】

50歳を目前にようやく就活に終止符を打ちました。ここまでの道のりは長く苦しかったので,いただいた素晴らしい研究・教育環境に感謝の気持ちでいっぱいになり,社会に貢献する研究に邁進しようと決意新たにしました。

しかし,それも束の間,大きな試練がやってきました。父の余命が数か月とわかり,私自身もがんの診断を受けました。茫然としました。「ようやく新しい道をふみだせると思っていたのに・・・」「生きたい」「もっと父と一緒にいたい」怖くて不安な毎日を過ごしました。

末期がんの父が,認知症の母の介護と一切の家事をしていました。父が入院すると,私が広島の母の介護をしながら京都で授業などを行わなければなりませんでした。私が入院すると全てがまわらなくなります。でも,入院してオペを受けなければ私自身が手遅れになります。オペ後,術後合併症でしんどい中,広島の父の看病,母の介護,京都での仕事をこなしました。体が3つあったらな・・・不眠不休の日々でした。そして,私が過労で倒れてしまった翌日,「苦労かけてすまんのぉ」と言葉を残し,父の意識がなくなりました。

「母さんの面倒をみんといけんけぇもっと生きたいんじゃ」少しでも長く生きることを強く希望していた父の願いを叶えることができませんでした。倒れた私を楽にするために急変して逝ってしまったのかも・・・と自責の念に苛まれました。

心身障害者施設,社会福祉法人施設の立ち上げなど福祉分野で尽力した父は,家族の誇りであり,その姿を見て育った私も,いつしか社会に役立つ仕事を志すようになりました。心から尊敬する父を亡くした喪失感と自責の念で涙が止まらない日々,なかなか前をむいて歩むことができませんでした。

父の写真を見つめていると聞こえてきました「社会の役に立ちたい思うて研究者になったんじゃないんか。自分の役割をちゃんと果たさんにゃぁ。」移植医療の社会価値の普及に関する研究に没頭することが心の支えとなり,一日一日を過ごしました。

NO.11【10,000人の分析から明らかになったこと】

移植医療の社会価値の普及に関する研究では,人々が臓器提供について関心を持ち,意思決定し,意思表示行動に至るメカニズムを探究しています。

それを解明すべく,10,000人を対象とした仮説検証型実証研究を行いました。その結果,臓器提供・意思表示に関心をもつ人は43.3%,意思表示しようと決めて行動に移した人は52.3%にすぎず,関心をもつ段階,意思決定から行動に移す段階に障壁があることが明らかになりました。

では,関心を持つ人と持たない人,行動に移す人と移さない人の違いは何でしょうか。同じく研究結果から,関心を持つ人は,援助,公共,利他の意識が高く,移植医療に関する知識レベルが高く,移植医療の価値を高く捉えていることがわかりました。一方,行動に移す人は,意思表示者との交流や家族と臓器移植について話した経験が多く,臓器提供への不安感が低いことがわかりました。したがって,二つの障壁を取り除くための方策は異なります。

研究結果から,より多くの方に意思表示をしていただくためには,各人の行動段階を知り,その段階に応じた介入を行って自発的な行動変容を促す必要であることが明らかになりました。まさしく『ソーシャル・マーケティング』・・・経営学が社会に貢献する時となりました!

NO.12【ソーシャルイノベーション】

まだ心身落ち着かぬまま始まった2014年の秋学期,人生初めてのゼミで23名の若者たちを迎えることになりました。「次世代のために尽くしたい!自身が持ちうる全てを伝えたい!」という気持ちで満ち溢れていました。

ゼミのテーマは「ソーシャルイノベーション」。現代社会の様々な問題を解決し,より良い社会にしようと取り組む新しい考え方や方法を学び,実践する場です。高い専門性,多様な分野を横断的に再編し新しい分野を創成する力,全体を俯瞰してその専門性を別の分野で生かせる力を養い,社会課題を解決するビジネスモデルを創造すること・・・今までの人生で思い続けてきたことを凝縮したゼミです。

一方,10,000名の分析結果から明らかになった「行動段階別の介入」をどのように実装するのか思案中でした。秋学期終盤,「釜石の出来事(奇跡)」のお話しを聞き,学生達への教育・学生達と共に行動する大切さを実感し,そして,回を重ねる毎に成長するゼミ生を見ながら決意しました。「ゼミ生とともに取組もう!彼らと一緒に世の中を変えよう!」と。

その決意は,なかなか喪失から立ち直れなかった私に勇気を与えてくれました。若者とともに社会貢献し,福祉に生きた父に誇れる生き方をしよう・・・と心に誓いました。

NO.13【多くの人の優しさと思いやりから生まれたSYVP】

「ゼミ生と一緒にソーシャル・マーケティングを実践し,世の中を変えよう!」そう決意したものの,0からプロジェクト組織を立ち上げるのは容易ではありませんでした。新入りの私は,大学内の資源についてもよくわからず,京都に人脈もありません。一人で「どうしたらいいんだろ・・・」と悩む日々でした。

まず,プロジェクトの名前をどうしようか・・・「価値(value)」という言葉を大切にしたい,「意思表示」の大切さを表現したい,自分が深く考え決めたことを堂々と言え,それを尊重し合うそんな社会を創りたい・・・そんな気持ちから「Share Your Value Project」と名付けました。

ミッション,ヴィジョン,現状分析と戦略・活動内容のドラフトをつくり,まず,数年前に一緒に患者支援組織を立ち上げた仲間に相談をしました。皆,親身になって忌憚ない意見をくれました。

次に,大学内の文理融合,または企業など社会との懸け橋を担う方々,同志社内外のリソースに詳しい方に相談し,様々な分野の方とつないでくださいました。

ある時は,高校の同級生に25年ぶりに突然連絡をとり,おしかけました。いきなり「臓器提供意思表示」の話を熱く語る私をおそらく変わった人だと思ったのではないか・・・と思います。

でも,どの人も嫌な顔一つせず,耳を傾けて下さり,起こすべきアクション,会うべき人を適切にご教示くださいました。「私は本当に人に支えられて生きているんだな・・・」感謝の毎日でした。

そして,バタバタの状態で第一回目のゼミが始まりました。その様子をfacebookで発信すると,高橋さん,野尻さんが「是非一緒に盛り上げたい!」と次の週にかけつけてくださいました。嬉しくて胸がいっぱいでした。持つべきものは熱いハートの仲間です。

こうして,次々に輪が広がりました。それぞれが,自分のおかれた立場で頑張っています。そして,SYVPと毎週のゼミ活動が,同志社の名のとおり「志を同じにするものが集う場」になればいいなと思います(^^)

NO.14【意思表示が「あたりまえ」の社会へ】

「ゾウキテイキョウ」・・・今まで馴染みのなかったことをゼミで毎週取り組みます。しかも2限(3時間)ぶっ通しで。私自身が自転車操業で,ゼミ生達は,次々に与えられる課題や新しい出来事に悲鳴をあげていたことと思います。それでも,皆,真剣に取り組み,一生懸命ついてきてくれました。今では,皆が誇りを持って、YES・NOに関わらず意思表示をしています。

私たちSYVPでは,意思表示を『人や社会とのつながりを大事にするもの,共に想うもの』というイメージに変え,自分の内面と向き合って深く考え,大切な人のことを想い,大切な人とも話し合って意思表示をすることが「あたりまえ」の世の中にしたいと思っています。

さらに,臓器提供に限りません。貧困や格差,雇用,医療・年金・介護,高齢化,環境・・・世の中の様々な問題に目を向け,必要な知識を自発的に得て深く考え,その考えを家族,友人,いろんな仲間と共有し,互いが尊重し合う・・・そんな社会になってほしいなと思っています。

 私たち一人一人の行動がそんな社会の輪を広げることができるよう,一歩ずつ真剣に取り組んでいきたいと思います。

これからも応援,どうぞよろしくお願い申し上げます! 

エピローグ【支えてくださった全ての方々へ感謝の気持ちをこめて】

「なぜ商学部で移植医療?」とよく聞かれます。その問いに一言でお答えすることは難しいのですが,このシリーズを記すことで,少しでもお答えできたのであれば幸いです。「ありがとう」から始まった長い物語に最後までおつきあいくださり,どうもありがとうございました。

100日目をSYVPの発信の一区切りにしようと思っていたのですが,毎日楽しみにしてくださっている方々の存在を知り,SYVPの成り立ちを綴ってみようと思いました。綴り続けることで,自身の内面を見つめる貴重な機会となりました。読んでくださっている方々のお気持ちに応えたい・役に立ちたいと思っていましたが,気づいてみたら,私が支えられ,勇気づけられていました。

振り返ると,人生には無駄なことなど一つもありませんでした。

仕事や人生のどんな苦難も,逃げずに真摯に取組むことで,自身の新しい一面を引出し,成長を促してくれました。

多様な経験をしたから視野が広がり,多くの人と出会いました。

遠回りしたからこそ人に寛容になりました。

挫折したからこそ,人に支えられて生きていることへの感謝の気持ちが一層強くなりました。

多くの人に支えられていることを心と全身で感じています。

感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にどうもありがとうございました!

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